our ending
舅の四十九日が、昨日終わりました。
大きな永代供養墓の中にお骨壷が納められていくのを見るのは、
なんとも切なかったです。
そして、お位牌もお寺で見てくれるそうだと、
家に仏壇どころかお位牌もありません。
粗供養の食事の際に遺影を寺に忘れてきたらしく、
写真立がぽつねんと机の上にありました・・・。
また、お供えをしてくださった品はお寺から下げたなり袋に詰め、
さっさと自分(義兄)の車に積んでしまい、
結局まつりこぼしとして皆さんに持って帰ってもらう訳でもなく
そのまま義兄が持って帰ってしまいました。
・・・・・・。
がめつい
知らなかった、とは親戚もみてくれませんよ。どんだけ困っとんじゃ?
だってね、祖母の時の香典返しが四分の一だった、、、。
葬儀貧乏という言葉もあるらしいけど、祭壇も寂しく、私は実家の預かり香典の会葬御礼もいただけず、七日法要の食事も思い出話もなく無言で、親族にも引き出物もなくまつりこぼしを分けられただけ。。。
仕舞いに、仏壇もない。
ケチケチ葬儀は葬儀貧乏よりも辛いです。辛いというか、不憫です。
夫のときはこういう切ない思いをせず、立派に務めてあげたいと心に誓ったのでありました。
で、丁度テレビで終活のことをやっていました。
エンディングノートとはよく耳にしていましたが、これを機会に話してみるのもいいですね。
私たちにも子はいないので、お墓を作らず永代供養になると思いますが、樹木葬というのも徳島にもあるようですし、今からお金を貯めて遺骨ダイヤは手が届かないにしても、遺石もいいかなと思いました。
自分自身、孤独死という暗いイメージしか持っていませんでしたが、未来に道が開けてきた気がします。
夫の休みの日にお寺を見に行ってみようかな、と思います。
合掌
四十九日において、私がいちばん許せなかったことは、
四男の欠席だ。
お通夜も葬儀も来ることが出来なかったのだが、七七忌は1ヵ月も前からわかっていること。
理由があるにせよ、兄なんだから工面してあげてでも来てもらうようすれば?と私は言っていたのだ。
親戚からは四男のことは一切話に出なかった。
知らないのかもね、存在を。。。